映画『パッション』を観る
2005年 01月 16日
先日、メル・ギブソン監督作品『パッション』を観た。
原題は、
“Passion of the Christ”
である。
イエス・キリストが「神への冒涜」を罪状に逮捕され、磔刑(たつけい)に処せられるまでの受難物語を再現した作品。
そのリアリティから年齢制限が設けられたり、それを鑑賞した聖職者が自殺を図ったという問題作であった。
実際、これほどまでに生々しいキリストの姿を観る機会など、今後タイムマシンができない限り目撃することはできないだろう。
残虐な仕打ちを受けながらも、人を恨むことなく、そればかりか哀れみの言葉さえ残して死にゆくイエスの姿はまさに衝撃である。
わたくしごとだが、プロテスタント教会系の高校に通っていたので、3年間はキリスト教に触れる機会があった。
毎日聖書を開いていたし、賛美歌も歌ったし、「聖書」という教科さえ設けられていた。キリスト教の外郭は知っていたし、説教の中でも、イエスが行った業(わざ)や最期の話も聞いたことがある。
しかし、そんな表面的な予備知識を持ち合わせているだけでは、『パッション』が放つ衝撃に太刀打ちするすべがなかった。
連続する残酷なシーンのせいではない。なぜイエスが死刑を受けたのか。そもそもイエスという人物はいったい何なのか。キリスト教とは何か。
いろいろな疑問が頭の中をよぎり、新年早々複雑な気持ちに陥った。
勇気をもって、ぜひご覧いただきたい。
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by riv-good
| 2005-01-16 05:27
| ヒトの衣谷さん