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寝起き

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by riv-good | 2008-02-16 21:29 | 猫道楽

義理チョコは照れくさい

毎年、バレンタインデーを迎えるたびに、入社したときのことを思い出す。

「WEBの仕事がしたいのです」

といって今の仕事を始めたのは、3年前の2月14日だ。

入社したばかりのオレは、「はじめまして」と、挨拶代わりに年下の先輩からチョコを1つ貰った。

当然、お義理である。

それでも嬉しく、恥ずかしかった。


今日は出社するなり、いろんな人からチョコを貰った。

白昼堂々、しかも公衆の面前で手渡されるチョコなのだから、もちろんお義理である。

誤解を招きそうなので断っておくが、草木も眠る丑三つ時に、人目をはばかりオドロオドロしく手渡されるチョコが、

「本気だ」

と言っているのではない。

それはある意味本気なのかもしれないが、チョコに込められている感情は、愛情ではなく怨恨の線が濃厚だ。


こう言ってしまうのもアレだが、モノを貰うのはとても好きだ。

もっとモノを貰えればな。常日頃、そう思っている。

実際、同僚からはよくモノを貰っている。あげたりもするが、どちらかというと貰っている率の方が高い。

もっと貰いたい、そういう気持ちが具現化されているのだろう。

絶えずモノを貰っている身からすると、今日に限って、

「お義理」

という言葉がつきまとうことに、どうにも違和感を覚えた。

日常的に同僚から配分されるチョコは、きっと「義理」ではない。

(お疲れ様)

(新商品が出たよ)

(これ、食わせてみよう)

なんらかの感情が含まれていて、それは疑いもなく形式的な贈呈物ではない。

でも、今日だけは「義理」なのだ。


こういう日のチョコは、食べるタイミングも難しい。

「宵越しのチョコは持たねぇ」

手当たり次第に、モサモサと食べるのがベストなのだろうか。

とすれば、誰に貰ったものから先に食べるべきなのだろうか。

義理とはいえ、「どれから食べるか」は何らかの主観的な判断によって支配されているはずなのだ。

贈り手にとって、最大の関心事ではないのか。

醍醐味なのではないか。

(あああ、迷う。迷う。)

とりあえず、チョコをくれた人が定時で帰っていくまで、封を切らないことにした。

義理チョコは疲れる。

そして、人目を気にしてしまうほど照れくさいのだ。
by riv-good | 2008-02-15 02:11 | ヒトの衣谷さん

らっきょうの位置

デニーズでドリアを食べた。

おいおい、それはいったい何処の国の食事だよ?

と思えるようなドリアだ。

「焼きチーズハンバーグカレードリア」

すごい。主役が多すぎて、ドリアへのプライドが微塵も感じられない。

そのコンセプト以上に気になったのは、「らっきょう」が3粒載せられていたことだ。

メニューの名前には、チーズもハンバーグもカレーもドリアも含まれているのだから、らっきょうの存在を看過してはなるまい。

ここはひとつ、正確な名称を検討することにしよう。


■「焼きチーズハンバーグカレードリアらっきょう」

主役が、らっきょうにすり替わってしまう。

これほど、らっきょうをゴージャスにする必要性はあるまい。ダメだ。


■「焼きチーズハンバーグカレーらっきょうドリア」

主役はドリアではあるが、らっきょうドリアは想像するに耐えない。ダメだ。


■「焼きチーズハンバーグらっきょうカレードリア」

どこで区切るかでニュアンスが変わる。

らっきょうカレーは組み合わせとして不自然ではない。

が、「ハンバーグらっきょう」では、未知なる食物が登場してしまい気になって仕方がない。NGだ。


■「焼きチーズらっきょうハンバーグカレードリア」

焼きチーズらっきょう。

焼きチーズらっきょう、って何?

ダメだ。


■「焼きらっきょうチーズハンバーグカレードリア」

焼きらっきょう、には反社会的な新たなるチャレンジを感じる。

焼くのか?!漬けたのに?

こいつはRockだ。

Rock you。

らっきょう。


■「らっきょう焼きチーズハンバーグカレードリア」

らっきょう焼き。

らっきょうで焼くのだ。

おい、一休。らっきょうで焼いてみぃ。

禅問答じゃないか。


らっきょうの位置は、意外に難しいものであった。
by riv-good | 2008-02-08 01:39 | 文字中毒

花、一輪

北千住で電車を降りた同僚から、メールが届いた。


「電車を降りる間際。

一輪の白い薔薇を女性に、

『よろしければ』

と渡している男性を目撃っ」



そのメールを読み終わり、なんてステキな話なのだと思った。

だが、次の瞬間、オレの脳裏に浮かんだのはこのような光景だった。



その紳士はスーツの胸元から、



世界一巨大な花を一輪差し出して、こう言った。



「かなり臭いっすよ、これ」



……ダメだ。

どうやら、オレは疲れている。
by riv-good | 2008-02-07 02:12 | ヒトの衣谷さん

講話ハラスメント

本社の品質管理部という部署から担当者がやってきて、「講話」なるものを開いた。

そもそも、品質管理部とうちの部署との業務上の関わりなんてことは、きちんとした説明がなされたことがないので推測の域を出ないのだが、おそらく、この部署は、

「こんなミスが起きている」

「そのミスの原因はこうだ」

「その対策はこれだ」

と、われわれの起こした業務上の事故に対して、原因の分析と再発防止の手を打ってくれる役割を果たすものであろうと思われる。

そういう部署の人が「講話」をしにきたのは、これで2回目のことである。

「講話」という言葉からは、

「きみたち、もっとしっかりしなさい」

という、一種お説教じみた内容を容易に想像させるが、第1回目を聴講した限りにおいて、彼らの「講話」はそういった性質のものではないことを痛烈に感じた。

では、どういった類のものかいえば、正確にそのニュアンスを伝えきれるかどうかとても自信がないのだが、彼らから受ける「講話」の印象を、やや強引に表現するとすれば、こうだ。

「きみたち、もっとしっかりしているかな?」

何だか、よくわからない。


「講話」ではPowerPointが使用され、同じPowerPointからプリントアウトされた20ページ強の分厚い資料が配付された。

出鼻をくじかれたのは、それも冒頭のことであった。あろうことか、このような前置きがアナウンスされたのだ。

「本社向けの資料で説明しますので、こちらとは実情がそぐわないものになっています」

要するに、

「これからお話しする内容は、こっちの部署じゃ役に立ちません」

と宣言したわけである。

もう意味がわからなくなっている。

「講話」を開いている意図がわからない。

いったい、何なのだろう?

彼らは前日、唐突に「講話」の予定をブッキングしてきた。実情に合わないと知りながらである。

われわれの本業を30分以上足止めしてまでも、是非とも「講話」を開きたかったのだ。

ということは、わざとなのだ。

役に立たない「講話」をわざと開いているとしか思えないではないか。


オレは問う。

「これはいったい、どういうことですか?」と。

彼らは、こう答えるかもしれない。

「講話ハラスメントです。」
by riv-good | 2008-02-06 01:47 | ヒトの衣谷さん

約10年の関東生活を経て長崎にUターン。長崎の生活事情や日常に沸き起こる出来事を書き綴っています。歌も歌います。フードアナリスト協会 正会員。何者でしょうか?


by 裕一郎
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