講話ハラスメント
2008年 02月 06日
本社の品質管理部という部署から担当者がやってきて、「講話」なるものを開いた。
そもそも、品質管理部とうちの部署との業務上の関わりなんてことは、きちんとした説明がなされたことがないので推測の域を出ないのだが、おそらく、この部署は、
「こんなミスが起きている」
「そのミスの原因はこうだ」
「その対策はこれだ」
と、われわれの起こした業務上の事故に対して、原因の分析と再発防止の手を打ってくれる役割を果たすものであろうと思われる。
そういう部署の人が「講話」をしにきたのは、これで2回目のことである。
「講話」という言葉からは、
「きみたち、もっとしっかりしなさい」
という、一種お説教じみた内容を容易に想像させるが、第1回目を聴講した限りにおいて、彼らの「講話」はそういった性質のものではないことを痛烈に感じた。
では、どういった類のものかいえば、正確にそのニュアンスを伝えきれるかどうかとても自信がないのだが、彼らから受ける「講話」の印象を、やや強引に表現するとすれば、こうだ。
「きみたち、もっとしっかりしているかな?」
何だか、よくわからない。
「講話」ではPowerPointが使用され、同じPowerPointからプリントアウトされた20ページ強の分厚い資料が配付された。
出鼻をくじかれたのは、それも冒頭のことであった。あろうことか、このような前置きがアナウンスされたのだ。
「本社向けの資料で説明しますので、こちらとは実情がそぐわないものになっています」
要するに、
「これからお話しする内容は、こっちの部署じゃ役に立ちません」
と宣言したわけである。
もう意味がわからなくなっている。
「講話」を開いている意図がわからない。
いったい、何なのだろう?
彼らは前日、唐突に「講話」の予定をブッキングしてきた。実情に合わないと知りながらである。
われわれの本業を30分以上足止めしてまでも、是非とも「講話」を開きたかったのだ。
ということは、わざとなのだ。
役に立たない「講話」をわざと開いているとしか思えないではないか。
オレは問う。
「これはいったい、どういうことですか?」と。
彼らは、こう答えるかもしれない。
「講話ハラスメントです。」
そもそも、品質管理部とうちの部署との業務上の関わりなんてことは、きちんとした説明がなされたことがないので推測の域を出ないのだが、おそらく、この部署は、
「こんなミスが起きている」
「そのミスの原因はこうだ」
「その対策はこれだ」
と、われわれの起こした業務上の事故に対して、原因の分析と再発防止の手を打ってくれる役割を果たすものであろうと思われる。
そういう部署の人が「講話」をしにきたのは、これで2回目のことである。
「講話」という言葉からは、
「きみたち、もっとしっかりしなさい」
という、一種お説教じみた内容を容易に想像させるが、第1回目を聴講した限りにおいて、彼らの「講話」はそういった性質のものではないことを痛烈に感じた。
では、どういった類のものかいえば、正確にそのニュアンスを伝えきれるかどうかとても自信がないのだが、彼らから受ける「講話」の印象を、やや強引に表現するとすれば、こうだ。
「きみたち、もっとしっかりしているかな?」
何だか、よくわからない。
「講話」ではPowerPointが使用され、同じPowerPointからプリントアウトされた20ページ強の分厚い資料が配付された。
出鼻をくじかれたのは、それも冒頭のことであった。あろうことか、このような前置きがアナウンスされたのだ。
「本社向けの資料で説明しますので、こちらとは実情がそぐわないものになっています」
要するに、
「これからお話しする内容は、こっちの部署じゃ役に立ちません」
と宣言したわけである。
もう意味がわからなくなっている。
「講話」を開いている意図がわからない。
いったい、何なのだろう?
彼らは前日、唐突に「講話」の予定をブッキングしてきた。実情に合わないと知りながらである。
われわれの本業を30分以上足止めしてまでも、是非とも「講話」を開きたかったのだ。
ということは、わざとなのだ。
役に立たない「講話」をわざと開いているとしか思えないではないか。
オレは問う。
「これはいったい、どういうことですか?」と。
彼らは、こう答えるかもしれない。
「講話ハラスメントです。」
by riv-good
| 2008-02-06 01:47
| ヒトの衣谷さん