「恐れ入れ」という判決

電車の中では司馬遼太郎『馬上少年過ぐ』を読んでいるのだが、所収されている『慶応長崎事件』にとても興味深い事柄を見つけた。

『慶応長崎事件』は、幕末・長崎において、坂本龍馬でなじみ深い海援隊の某隊士2人が、英国人水兵殺しの嫌疑を掛けられる…という事件の顚末を描いたものである。

事件当夜、海援隊隊士の2人はひどく酩酊していて、その帰路、英国人水兵にからんだ記憶はあるものの、はたして自分が斬ったかどうかが定かでない。

事件のカタを付けなければならないのは長崎奉行所であるが、確固たる証拠は見つからず、世間では「土佐人が殺したらしい」という噂だけが独り歩きしてしまっている。

どうにも埒があかない奉行所は「事件処理」の形式だけでも取り繕うため、隊士2人と関係者2人を白州に呼び立てて、とある判決を下した。それが、

「恐れ入れ」

であった。

この判決に対して、被疑者はどんなアクションを要求されるかと言えば、

つまり四人としては、「恐れ入りました」と平伏するだけでよいのである。(同著より引用)


だそうな。

「まぁ、よぅわからんけど、とりあえず『恐れ入った』と言うとけ」

と天下の奉行所が命じたとは、ホントに滑稽な話である。

ただ、わたしにはそういう刑罰が実在したのか、そもそも「恐れ入れ」判決が司馬氏による創作ではなくて本当に行われたのか、わからない。

江戸時代の刑法を定めた資料としては、大岡越前が編纂したとされる『公事方御定書』(くじかたおさだめがき)が著名であるが、当然の事ながらそれも何も手元にないので調べかねている。

また『公事方御定書』自体、当時は江戸町奉行所だけが閲覧を許されたという機密文書であった。地方の奉行所は極秘裏にその情報を入手して独自の法を制定していったというから、長崎奉行所の判決が『公事方御定書』に準拠しているとも考えにくい。

しかし、長崎に限っては「藩」ではなく幕府の直轄地だったし、もしかするともしかするな…。

なんて果てしなく「恐れ入る」のことを考えながら過ごすクリスマスは、あっけなく幕を閉じた。

【参考資料】
司馬遼太郎『馬上少年過ぐ』新潮文庫
Wikipedia
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by riv-good | 2005-12-26 00:59 | 文字中毒

約10年の関東生活を経て長崎にUターン。長崎の生活事情や日常に沸き起こる出来事を書き綴っています。歌も歌います。フードアナリスト協会 正会員。何者でしょうか?


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