ノスタルジア
2009年 08月 26日
諫早中央部の景観は、年を追うごとに変貌し続けています。
その変わり様はというと、生まれ育って30年間くらいの記憶が、
「夢だったんじゃなかろうか・・・」
と疑われてしまうほど。
わたしの通っていた保育園・幼稚園・小学校は移転してしまっており、あの校舎はもう存在しません。
中学校はまだ残っていますが、その周辺は区画整理の対象となっているので、通学路にしていた道は引き直されているし、建物も様変わりしました。
ちょっと前までそこに在ったものがなくなっていて、その代わりと言ってはなんですが、
「これで、いいんだろうか」
と思える景観が、眼前に広がっていたりします。
■小路
帰省する前、ふと、この路のことを夢に見てしまい、
(もしかしたら、もう残っていないかも…)
などと心配していたのですが、まだ残っていました。
この路を突き当たると・・・、
川が流れています。
買い物に出掛けるときは、祖母や母に手を引かれて石畳の道を歩いたものです。
当時は長屋が連なっており、武家屋敷の雰囲気がありました。
写真に収まるくらいの短い距離ですが、川の流れる小径の景色は、今でもお気に入りです。
■長崎刑務所跡地
実家から10分ほど歩くと、長崎刑務所の跡地にたどり着きます。
実は、ここが中学校への通学路(笑)
学校ばかりでなく、友達の家に遊びに行くのにも、ゲーセンに行くのにも、高く聳える赤煉瓦の塀の脇を必ず歩いたものです。
今は、ご覧の有様。
大型商業施設が建設される予定だったそうですが、何らかの問題があって開発は頓挫。今は正門と管理棟の一部が、ぽつんと残されている状態です。
取り壊しのことを知ったのは、デイリーポータルZの記事「衝撃の廃墟/旧長崎刑務所を訪ねる」でした。
このような結果に至った経緯については、前村記念博物館ブログを参照いたしました。
もっと……綿密な計画と現実味のある開発はできんものかね?
その変わり様はというと、生まれ育って30年間くらいの記憶が、
「夢だったんじゃなかろうか・・・」
と疑われてしまうほど。
わたしの通っていた保育園・幼稚園・小学校は移転してしまっており、あの校舎はもう存在しません。
中学校はまだ残っていますが、その周辺は区画整理の対象となっているので、通学路にしていた道は引き直されているし、建物も様変わりしました。
ちょっと前までそこに在ったものがなくなっていて、その代わりと言ってはなんですが、
「これで、いいんだろうか」
と思える景観が、眼前に広がっていたりします。
■小路
帰省する前、ふと、この路のことを夢に見てしまい、
(もしかしたら、もう残っていないかも…)
などと心配していたのですが、まだ残っていました。
この路を突き当たると・・・、
川が流れています。
買い物に出掛けるときは、祖母や母に手を引かれて石畳の道を歩いたものです。
当時は長屋が連なっており、武家屋敷の雰囲気がありました。
写真に収まるくらいの短い距離ですが、川の流れる小径の景色は、今でもお気に入りです。
■長崎刑務所跡地
実家から10分ほど歩くと、長崎刑務所の跡地にたどり着きます。
実は、ここが中学校への通学路(笑)
学校ばかりでなく、友達の家に遊びに行くのにも、ゲーセンに行くのにも、高く聳える赤煉瓦の塀の脇を必ず歩いたものです。
今は、ご覧の有様。
大型商業施設が建設される予定だったそうですが、何らかの問題があって開発は頓挫。今は正門と管理棟の一部が、ぽつんと残されている状態です。
取り壊しのことを知ったのは、デイリーポータルZの記事「衝撃の廃墟/旧長崎刑務所を訪ねる」でした。
このような結果に至った経緯については、前村記念博物館ブログを参照いたしました。
もっと……綿密な計画と現実味のある開発はできんものかね?
by riv-good
| 2009-08-26 20:42
| 旅道楽