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義理の里帰り出産

ヨメは出産と産後をわたしの実家で過ごすことに決めた。

東京都足立区に生まれ育ったヨメにとっては、長崎県諫早市という縁もゆかりも無い場所で、里帰り出産をする。

ヨメに身寄りがないわけではない。実家のようなものもあれば、オカンもいる。

しかし、オカンは多忙な人なので、出産はよいとしても産後の世話が難しい。じいさんもばあさんも他界した今、他に面倒を見てくれる人がいない。

そういう事情があって、ヨメを長崎の実家に託すことになった。

出発は明日、3月9日。わたしも飛行機に同乗して実家に向かう。

その翌日、わたしだけが関東に戻ってくる。しばらく、わたしは関東の地に単身赴任ならぬ単身留任することになる。

「留任」という意味深な言い方をする理由は、実は長崎への移住計画をしているからだ。

計画の第一弾は、ヨメがお腹にコドモを入れた状態で長崎に移る。そして、そのまま長崎での生活を始める。

明日、移住計画はスタートを切る。計画完了まで、カウントダウンの毎日である。
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by riv-good | 2013-03-08 20:53 | ヒトの衣谷さん | Comments(0)

故・市川森一さんとわたし

先日、脚本家の市川森一さんがお亡くなりになった。

市川さんとわたしとは同郷、長崎県諫早の出身である。その点、近い存在であった。

道で擦れ違ったとしたら、

「こんにちは」

とわたしの方から声を掛けるだろうし、もしくは、

(うわー、市川森一だー)

と、心の中で驚きながら通り過ぎてしまうだろう。

要するに、希薄というのもおこがましいくらい関係性は薄いし、言ってしまえば面識は全く無い。

ああ、他人である。そう、他人さ。

ただ、同郷であるという事実。それだけが繋がりを感じさせるのだ。

諫早市といっても広い。実際、周囲の市町村を併呑したせいで、ここ数年のうちにとても広くなっている。

そんな広大な諫早の中、わたしの実家と市川さんの実家はさほど離れていない。

今はもう無いが、栄町アーケードのパルファンそばに「まるたか」があって、その並びには市川トロフィーというお店があった。

そのお店が開いているところは見たことがない。いつも扉が閉まっていて、前を通りかかると薄暗い店内に、いくつかのトロフィーが陳列されているのが見えるだけだった。

その市川トロフィーが、市川森一さんの実家だったと聞いた。あまりに昔に得た情報なので、この情報は正確ではないかもしれない。実家は別のところにあって、店舗だけがそこにあったのかもしれない。

わたしの実家と市川トロフィーは、徒歩3分という至近距離にあった。当然のことながら、生活圏を共にしているわけである。

市川さんもまた、本田魚屋や、中村紙屋や、本村果物店や、大島文陽堂や、親和商会、よろや万十をご存知のはずだ。

さらにこの生活圏を、俳優・役所広司さんも共有しているのだから奇跡だとしかいいようがない。

しかも、市川さんが脚本を手がけたNHKドラマ『親戚たち』。主演は役所さんで、ロケ地はわたしの実家の裏にある、地主さんの屋敷だった。

どうだ、このやろう。この「近さ」は半端ではないだろう。

しかしながら、ここまで事実を並べ立てても、市川森一さんとわたしはまったくの他人だし、これ以上、距離が縮まることもなくなった。

御冥福をお祈りいたします。
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by riv-good | 2011-12-19 20:20 | ヒトの衣谷さん | Comments(0)

ノスタルジア

諫早中央部の景観は、年を追うごとに変貌し続けています。

その変わり様はというと、生まれ育って30年間くらいの記憶が、

「夢だったんじゃなかろうか・・・」

と疑われてしまうほど。

わたしの通っていた保育園・幼稚園・小学校は移転してしまっており、あの校舎はもう存在しません。

中学校はまだ残っていますが、その周辺は区画整理の対象となっているので、通学路にしていた道は引き直されているし、建物も様変わりしました。

ちょっと前までそこに在ったものがなくなっていて、その代わりと言ってはなんですが、

「これで、いいんだろうか」

と思える景観が、眼前に広がっていたりします。


■小路
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帰省する前、ふと、この路のことを夢に見てしまい、

(もしかしたら、もう残っていないかも…)

などと心配していたのですが、まだ残っていました。

この路を突き当たると・・・、
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川が流れています。

買い物に出掛けるときは、祖母や母に手を引かれて石畳の道を歩いたものです。

当時は長屋が連なっており、武家屋敷の雰囲気がありました。

写真に収まるくらいの短い距離ですが、川の流れる小径の景色は、今でもお気に入りです。


■長崎刑務所跡地
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実家から10分ほど歩くと、長崎刑務所の跡地にたどり着きます。

実は、ここが中学校への通学路(笑)

学校ばかりでなく、友達の家に遊びに行くのにも、ゲーセンに行くのにも、高く聳える赤煉瓦の塀の脇を必ず歩いたものです。

今は、ご覧の有様。
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大型商業施設が建設される予定だったそうですが、何らかの問題があって開発は頓挫。今は正門と管理棟の一部が、ぽつんと残されている状態です。

取り壊しのことを知ったのは、デイリーポータルZの記事「衝撃の廃墟/旧長崎刑務所を訪ねる」でした。

このような結果に至った経緯については、前村記念博物館ブログを参照いたしました。

もっと……綿密な計画と現実味のある開発はできんものかね?
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by riv-good | 2009-08-26 20:42 | 旅道楽 | Comments(0)

諫早にもある眼鏡橋

長崎市の眼鏡橋は有名ですが、諫早にも眼鏡橋があります。
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1839年(天保10年)。諫早の中心を流れる本明川(ほんみょうがわ)に、長崎の眼鏡橋をモデルとして、長さは約2倍という「屈強な石橋」が架橋されました。

この石橋、現在まで決壊したことがありません。

「水害に耐える」というニーズによって造り出されただけあって、まさにtoughnessを具現化したような橋。

が、その屈強さが仇となって、1957年(昭和32年)には諫早大水害を招いたとさえ言われます。

激流に揉まれ押し流される木々や瓦礫を堰き止めて、強大な水圧にも耐え抜く。その結果、川が氾濫し、市街地を水浸しにしたとのこと。

大水害後は「その原因」として爆破・撤去されそうになりましたが、街のシンボル性・石橋としての希少価値を認められ、国の重要文化財の指定を受け、現在の「諫早公園」に移設・保存されるに至ります。

今や生活路として実用されていませんが、おそらく日本に現存する最強の石橋でありましょう。
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by riv-good | 2009-08-16 13:38 | 旅道楽 | Comments(4)

実家探訪 2009夏

■エノキノキ
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実家の裏に聳え立つ樹木。

よくよく考えると、身近に巨大な樹があること自体、珍しい環境だ。

捕虫網に竹を継ぎ足して、かなりの高さにとまっているセミを獲ったのを思い出した。

幼い頃に「エノキ」と教わったのだが、イノキとかエノキダケとかを、ごっちゃにしていて、区別がつかなかった記憶も蘇ってきた。


■クマゼミ
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最近、関東にも進出し始めたらしい、南国のセミ。

網戸にとまっていたのはメスだが、オスはワシャワシャと鳴く。

クマゼミのワシャワシャ大合唱が始まると、真夏だなぁ…と実感する。


■巨大金魚
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遠近法が狂っているのではなくて、単純に金魚がでかい。

左端の水槽の金魚が、ふつうサイズ。

鯉なのでは?と疑ったものの、口髭がなかったので、残念ながら金魚。

どうやったらこう育つのかは謎。


■ぱんだ
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実家で飼われている、シャム猫mix。

目の周りの模様から「ぱんだ」と名付けられたようです。

ぱんだを飼い始めて以来、タマは家出をしてしまったそうな。
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by riv-good | 2009-08-09 11:56 | 旅道楽 | Comments(0)

実家

c0025348_155219.jpg祖父が起業のために、この土地と家屋を借りたと聞いている。

父とその兄弟姉妹6人、そして父の子-わたしと弟もここで生まれ育った。3代に渡って、もうかれこれ100年近く住み続けている。

古い家である。

屋根を覆うトタンを1枚はずすと、藁葺きである。

風呂釜は五右衛門。

トイレは「便所」というに相応しい汲み取り式。

茶の間は掘り炬燵である。


c0025348_1555897.jpg設備面ではこれだけのレトロぶりを発揮しているので、見た目も由緒正しき旧家の面影があればいいなぁ…と思ってみたりする。

実際はそうではない。

なにせ建築家業なもので、修繕はもちろんのこと、さらには時代を追うごとに増改築を繰り返している。

わたしが生まれた時点ではすでに、祖父が借りた状態とはかなり違った家になっていたらしい。

今のところの見た目はどうだろう。

「たぶん昭和の家」

といった風情を保っているくらいではないだろうか。



c0025348_156348.jpg階段。

一日中、薄暗い。

むしろ、一日中暗いと言った方がいいかもしれない。

友達を招くと、

「うわぁ、忍者屋敷のごたっ!」

とかなり好評だった。

急勾配なので、灯りを点けても足元が怖く、みんな這いつくばって上り下りしていたのを覚えている。

ちなみに家族は、真っ暗闇でもひょいひょい歩ける。
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by riv-good | 2007-07-19 15:11 | 旅道楽 | Comments(2)

タイムカプセル

c0025348_116112.jpg祖母の四十九日法要は無事終了。ばあさんは、じいさんの眠る墓に入った。

L&L ホテル センリュウでの会食を終え、親戚一同、ばあさんが生前暮らしていた家に歩いて向かう。

この家、母・おじ・おばの生家でもあり、増築・補修などして、かれこれ60年以上は建ち続けている家である。わたしも幼いときはよく遊びに行った。

時節ごとに従兄弟たちがわんさか集まる。かくれんぼやら鬼ごっこをして駆け回った。正月はむしろを敷いて独楽回しをした記憶があるし、お盆は盛りだくさんの花火を持ち寄って遊び、スイカを食べ、瓶入りのサイダーを飲んだ。

この家の玄関が、脱いだ靴で溢れかえったのは何年ぶりのことだろうか。みんなで大騒ぎしたあの部屋はわずか6畳ほどでしかなく、ジャンプして届くの届かないのと競い合った天井も、手を伸ばして踵を上げれば触れられそうな高さにある。

「あら?もっと広うなかったっけ?」と口々に言う。20年前、わたしたちはまだまだ幼かったのだ。

ばあさんの家の脇には、長くて急な階段がある。

ジャンケンで「チ・ヨ・コ・レ・イ・ト」とか言いながら一日何往復、駆け上ったり駆け下りたりしたのかわからない。真ん中の手すりにまたがって、つーっと下に滑り降りるなんていう荒技もあったりしたが、今は怖くてできそうもない。

なんだか、ばあさんの家ばかりか、一帯の風景ごとまとめてタイムカプセル化されている。それはわたしだけのものではなく、三世代にわたっての記憶が格納されている代物である。

そんな特別な場所は、ここにしかないのだ。
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by riv-good | 2006-01-23 01:33 | 旅道楽 | Comments(0)

「むくむく」という名の仔ネコ

c0025348_104417.jpg四十九日の法要のため、実家に帰省した。

「『むくむく』したとの、増えたっさ」

空港から実家へ辿り着くなり、クルマのシートベルトを外しながら弟が言う。

「ほら、あそこにおるよ」

温水器の上で暖をとっていたのは、クロとシマ。そして彼らに紛れて、1匹の見慣れない仔ネコが居座っている。

その名は、「むくむく」。

あらかじめ断っておくが、「むくむく」という名のルーツは、蠢く(うごめく)様子を表したものではない。

「むくむくと蠢くネコ」を想像するのは、正気ではちょっと難しい話なので、わざわざ断りを入れるまでもないと思う。が、下手に想像力を膨らませるとホントに「蠢くネコ」が夢に出てきそうなので、あえてお断りを入れておく。


c0025348_132066.jpg「むくむく」は、毛並みがむくむくしている。

「ふかふか」とか「もこもこ」ではないのか?とも思ったのだが、実際に触ってみると、あっ「むくむく」している。

まだまだ仔ネコで体躯は小さい。クロの半分ほどしかないが、その毛は柔らかくて長い。撫でると掌が毛並みに沈んでしまうくらいなので、実際の体躯はもっと小さいことになる。

小ささと、むくむくした手触りに加えて、このルックス。

卑怯。

「このっ、女殺しっ!」という表現を「むくむく」に対して使うなら、

「このっ、ヒト殺しっ!」

といったところ。

外でそう叫ぶとあらぬ誤解を招きそうだ。

それにしても、ニクいねぇ。
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by riv-good | 2006-01-22 01:05 | 旅道楽 | Comments(2)

続・実家の仔ネコ2

わたしの自宅でもネコを2匹飼っているのだが、外には一歩も出さない。

今の部屋に越してくる前、不動産の担当者が、

「この辺はネコ・エイズが流行ってるのでね〜」

と話してくれたこともあり、窓の外を眺めてばかりの彼らには申し訳ないのだが、

「遊んでこーい!」

と言い遣る勇気が湧いてこないからだ。

その点、実家のネコたちは自由である。

ケンカやら病気やら交通事故やら、外ならではの危険に晒されてはいるものの、「飼う」という人間の行為に束縛されず、でもゴハンは好きなだけ与えられ、気の向くままに遊びに出る。

うちのネコも実家のネコと同じような待遇にしてみたら、今の生活には戻れなくなりそうだな……と想像してみたりする。

さて、実家のネコである。



c0025348_37354.jpgシマ。

夏はたしか「トラ」と呼ばれていたような記憶があるのだが、今回ははっきりと「シマちゃん」と呼ばれていた。どうやら改称されたらしい。

「シマ!シマ!」と家人が呼ぶ声はするものの、なかなか人前には出てこない。これも相変わらずだ。

どうしているのかと様子を見てみると、ひたすら温水器の上で暖を取っていた。ネコは涼しいところと暖かいところには敏感である。




c0025348_3834.jpgシッポ。

実を言うと、夏は顔を撮れないでいた。

理由は分からなかったが、首から上に無数の傷を負っていて、そこからおびただしく流れた血が固まり、顔だけがくっきりと褐色に染まっていたのである。見るに堪えない姿だった。

人を見ると逃げるネコなので、捕まえて獣医に診せることもできない。そういう状況もあって実家でも、

「この子はもうダメかもしれん」

と半ば絶望していたし、わたしも再会を諦めていた。

が、冬にはその傷が見事に完治。このとおりの美麗な姿を見せてくれた。しかも、右目と左目の色が違うOdd Eyed(オッド・アイ)。

白ネコの場合は、Odd Eyed White(オッド・アイ・ホワイト)と呼ばれるらしい。先天的な聴覚障害があり、青い目をした方の耳が聞こえないとされている。

片耳が聞こえないまま、ノラとして生きるのは相当なハンディだと思う。顔に負った無数の傷はケンカによるものであったかもしれない。

それにしても、無事で何より。
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by riv-good | 2006-01-08 03:13 | 旅道楽 | Comments(2)

続・実家の仔ネコ

c0025348_0412551.jpg実家の仔ネコたちを紹介したのは夏の話。それから3ヶ月経過し、季節は冬を迎えた。

外での暮らしを続けている彼らにとって、病気やケガは決して無縁のものではない。年末の帰省で再び会えるかどうか心配だったが、彼らの元気な姿を拝めたのはとても嬉しいことだった。

そして、仔ネコってこんなに大きくなるんだ!?という新しい驚きもあり、今回は遅ればせながら彼らの近況を報告したい。画像は、それぞれ夏と冬の姿を上・下に組み合わせたものである。

チビ。

夏は「宇宙人か?」と見まがうほど、青白く、か細い風体をしていたが、ようやくふつうの体型のネコになった。

声が枯れているせいで、人を呪うかのような鳴き声を発してはいたものの、人なつっこさは相変わらず。部屋の中から窓の外を眺めていると、チビの方から声を掛けてくれる。

部屋に招き入れて、たくさん遊んだ。が、実はチビを部屋に上げるのは禁止されているので、事実上、「禁じられた遊び」を展開することになった。


c0025348_0465710.jpgクロ。

ほっそりとした猛獣系の顔立ちも、今やすっかり大人びた雰囲気。「いぶし銀」めいた風格さえ漂い始めている。

人なつっこさは、チビと変わらず。チビと変わらずといえば、クロもまた部屋に上げるのを禁止されている。

というのは、正式な飼いネコ−「タマ」のナワバリに我が物顔で居座ってしまうからである。他、チビとクロとを一緒に部屋に入れてしまうと、それはそれは家人の手を余すほど暴れ回る…といった弊害があるので、今のところは禁制に従うしかない。

ただ、この2匹には変化がみられた。それぞれに首輪が掛けられているのである。タマとさえ仲良くしてくれれば、そして、おとなしくしていてくれれば、立派な家ネコになれる日は近い。
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by riv-good | 2006-01-04 00:48 | 旅道楽 | Comments(6)

約10年の関東生活を経て長崎にUターン。長崎の生活事情や日常に沸き起こる出来事を書き綴っています。歌も歌います。フードアナリスト協会 正会員。何者でしょうか?


by 衣谷(ゆう)
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