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2008年 02月 08日
デニーズでドリアを食べた。
おいおい、それはいったい何処の国の食事だよ? と思えるようなドリアだ。 「焼きチーズハンバーグカレードリア」 すごい。主役が多すぎて、ドリアへのプライドが微塵も感じられない。 そのコンセプト以上に気になったのは、「らっきょう」が3粒載せられていたことだ。 メニューの名前には、チーズもハンバーグもカレーもドリアも含まれているのだから、らっきょうの存在を看過してはなるまい。 ここはひとつ、正確な名称を検討することにしよう。 ■「焼きチーズハンバーグカレードリアらっきょう」 主役が、らっきょうにすり替わってしまう。 これほど、らっきょうをゴージャスにする必要性はあるまい。ダメだ。 ■「焼きチーズハンバーグカレーらっきょうドリア」 主役はドリアではあるが、らっきょうドリアは想像するに耐えない。ダメだ。 ■「焼きチーズハンバーグらっきょうカレードリア」 どこで区切るかでニュアンスが変わる。 らっきょうカレーは組み合わせとして不自然ではない。 が、「ハンバーグらっきょう」では、未知なる食物が登場してしまい気になって仕方がない。NGだ。 ■「焼きチーズらっきょうハンバーグカレードリア」 焼きチーズらっきょう。 焼きチーズらっきょう、って何? ダメだ。 ■「焼きらっきょうチーズハンバーグカレードリア」 焼きらっきょう、には反社会的な新たなるチャレンジを感じる。 焼くのか?!漬けたのに? こいつはRockだ。 Rock you。 らっきょう。 ■「らっきょう焼きチーズハンバーグカレードリア」 らっきょう焼き。 らっきょうで焼くのだ。 おい、一休。らっきょうで焼いてみぃ。 禅問答じゃないか。 らっきょうの位置は、意外に難しいものであった。 2008年 01月 24日
![]() 期間限定で発売中の「ミルクチョコレート ソッティーレ」。 蓋の裏には、 「日本でチョコレートが生まれた日」 というタイトルの文章が記されている。 1918年 森永は日本で初めてカカオ豆からチョコレートを一貫製造しました。それまでの日本には、一貫製造に必要な設備と技術がなく、輸入した原料チョコレートを加工するだけでした。米国のチョコレート工業の発展を目の当たりにした森永太一郎は、チョコレート一貫製造設備の建設を開始し、1918年9月 ついに日本で初めてチョコレートを一貫製造する事に成功しました。日本でチョコレートが生まれてから、今年で90年。これからも森永は「おいしい笑顔」に出会う為、チョコレートをお届け致します。(全文) 結局のところ、チョコレートが生まれた「日」は謎に包まれているのだ。 2008年 01月 22日
■2通目の詫び状
訂正された賞状とともに送られてきた詫び状には、 「以後、二度とこのようなことのないよう、努めていく所存です。」 と結ばれていたのだが、どういうわけだか、オレの手元にはもう1枚の詫び状がある。 今度は何のお詫びかというと、共同出版の費用の件で、である。 以前に送られてきた出版申込書には、このような夢を実現するためのオネダンが提示されていた。 「出版費用: 特別価格 50400円(税込み)」 オレは自費出版に興味をもったことがなかったので、相場というものを知らない。特別価格とは書いてあるものの、それがどれほど「特別」な提案なのかが、イマイチよく伝わってこなかった。 額面を見て、(それにしても、5万円は高い。) そう思うのが精一杯だった。 そこに届けられたのが、「お詫びと訂正」だ。 オレは即座に直感した。 (ほうら、やっぱ5万なんて高すぎたのだ。) 自費出版とはいえ、素人がおいそれと出せる金額であるはずがない。 文面を読み進める。 「『特別価格(税込み)』となっておりましたが、」 (ほうほう。) 「税抜き価格を記載しておりました。」 バカなのかね、君は。 オレは再送されてきた申込書をビリビリと破り捨てた。 賞状も申込書も不備。 後から提示してくる値段の方が高いだなんて、何を意図しているのかがわからない。 到底そんな出版社に出版を依頼する気にはなれないまま、数年が経過した。 そして、新風舎の倒産を見届けることになった。【了】 2008年 01月 16日
新年早々、自費出版でおなじみの新風舎が事実上倒産した…とのニュースが報じられた。実は、オレ、新風舎の作品コンテストで佳作を受賞したことがある。 入選の知らせを受け取った当初から、 (こりゃ、Blogのネタになるぞぅ…) とヨコシマな思いを胸に秘めて、通知書などを保存しておいたのだが、まさか倒産という話題を皮切りに引っ張り出すことになろうとは、想像もつかなかった。 受賞したコンテストは、2004年に募集されていた「第2回 新聞に載らない小さな事件」である。 新風舎資料によると応募総数は700点。うち最優秀賞が1名、優秀賞が5名、佳作が50名なので、母数が真実であれば、拙稿はなかなか健闘したと言えよう。 当然、自信がついた。新風舎の担当からは「共同出版しましょうよ!」なんていう話も来た。一瞬、自分の作品を収録した書籍が店頭に並ぶ光景を思い描いたりもした。 が、残念なことに、オレは受賞の通知を受けた時点から、アヤシサが気になって気になって仕方なくて、どうしても新風舎を信用する気になれなかった。結局は、共同出版の勧誘を何度も断り、そして最後には担当者からの電話を着信拒否するに至った。 今思えば、そのアヤシサが、虫の知らせであったと思う。 ■2枚の賞状手元に、新風舎から届けられた賞状が2枚ある。 入賞したのは1つのコンテストなのに、なぜ2枚も賞状がもらえたのか?というと、最初に送られてきた賞状の文面が間違っていたせいである。 正確にいうと、1枚がミスプリント・バージョンで、もう1枚が訂正バージョンである。 訂正の内容は、肝心の賞の中身だった。 1枚目の賞状には「作品集への掲載をもって広くその栄誉を称えます」と書かれているが、その最も甘美な響きを含む部分、すなわち「作品集への掲載をもって」が間違いだった。 募集の段階で明記されていたのだが、無償で作品集に掲載されるのは、最優秀賞と優秀賞のみ。佳作の場合は、有償の共同出版になるという。 それを知っていたオレは、ぬか喜びをした。思いがけず本に載ることになってしまい、賞状を片手に小躍りを踊ったものである。 が、後になって、詫び状とともに「作品集への掲載をもって」の箇所が削除された訂正バージョンの賞状が送られてきた。 さほど落胆はしなかったものの、今度は新しい感情が沸き上がった。 「賞状の文面を間違えるとは何事か」である。 あってはならないことだ。 恋人の誕生日に、恋人の名前を、うっかり違う異性の名前で呼んでしまうことくらい、あってはならないことだ。 「その栄誉を称えます」 ちっとも、称えてねぇだろうと思った。 「その栄誉を称えます」という文面が、2枚もある時点でウソなのだ。 日本人がいまだかつて、 「はい、はい」 の二つ返事を、誠意として認めたことがあるか? 唯一無二であるはずの存在が、目の前に2つも存在してしまう事実。この現象が、こんなに陳腐な有様を示すものだとは思いも寄らなかった。【続】 2007年 11月 04日
ビックカメラのポイントで『DS文学全集』を購入。古い日本の作家たちの作品が、ずらっと100冊収録。古本屋で文庫本を買いあさったとしても、100円×100冊で10,000円相当。 これが『DS文学全集』だと3,000円足らずで済む。文庫本だと贔屓の作家ばかり買い集めてしまいがちだし、少なくとも100冊分の場所は取らないしなぁ…という単純な考えで買ってきた。 ところで、 (昔の文学作品を読みてぇ…。) という情熱は、「あらすじで読む世界文学…」といったタイトルのテレビ番組に触発されたことに端を発している。 ここ最近は、夏目漱石・芥川龍之介・太宰治などなど、ハタチくらいの時に読んだっきり、ずっと本棚に眠っていた文庫本を引っ張り出して、通勤の行き帰りにひたすら読み返していた。 さすが、10年以上の年を食ってしまったせいか、当時は心に響きもしなかった作品が、 (ああ。オレこそ人間失格。生まれて、すみません。) と思い悩ませるフシもあり、今更ながら文学に打ちのめされているところである。 昨日から坂口安吾『堕落論』を読み始めたのだが、実はコレ『DS文学全集』にも入っていたので、途中まで文庫本、続きは『DS文学全集』で読み終えた。 当初思っていた以上に、DSの文章は読みやすい。 文庫本の紙面に対して、DSの画面では狭くて読みにくいんじゃないか…と不安だったのだが、行間・字間ともに問題なし。わたしには読みやすいサイズだ。 ちなみに、『DS文学全集』には、青空文庫が関わっているらしい。青空文庫は、著作権の切れた作品を有志がデータ化し、DB化し、自由に閲覧できるようにしたというありがたいサイトである。 青空文庫のデータはazurという閲覧用アプリケーションでも読むことができ、PDA、ケータイなど対応した端末を使えば、データを持ち出して『DS文学全集』的なことができてしまう。 ただし、青空文庫の場合は100冊といわず、数千冊の蔵書が相手となってしまうのだが。。。 その点、『DS文学全集』は著名作品がまんべんなく絞り込まれていて、とっつきやすい。まだ読んだことのない作家の作品が、迷わずたくさん読めるのが嬉しいところ。 2007年 08月 20日
昭和の新聞広告、続き。
前回と同じく、現存する有名メーカーの商品の紹介です。 さて、これは…何の広告だろう? ![]() コピーを引用すると、 内臓強化に此の健康法 半裸の方々は何をしているのかというと、広告下にこう書いてある。 和舞踊研究所員の冬の戸外猛練習 和舞踊だそうな。 で、肝心の商品は…、 ![]() 「救心」。 当時は、「二日分を無料進呈中!」という気前よいキャンペーンを展開していたらしい。 薬というと、この商品も戦時中から販売されていた。 ![]() 「若素(わかもと)」 現在の商品名は、ご存知「強力わかもと」(STRONG WAKAMOTO)だが、1929年(昭和4年)から1931年(昭和6年)までは、漢字で「若素」と宛てていたらしい。 商品の歴史について、詳しくは「愛されて78年」わかもと製薬のWEBを参照されたい。 最後はおまけ。 商品とは離れてしまうが、これも有名店舗。 「日本橋・高島屋」 ![]() 駆け足ながら、実家に保存されている昭和の新聞から、当時の広告を紹介してきた。 全般的な反省だが、出典(掲載されていた新聞名・掲載日)を正確に記すことができなかったため、データとしては不完全なものとなってしまった。 が、実家には実物が残っているので、次回帰省した際に確認し、補足していきたい。 実はもうちょっと撮りためているのだが、それはまた折を見て。 2007年 08月 16日
今回紹介するのは、現存する有名メーカーの商品広告。
さて、どこのメーカーのシンボルマークだろう?月のマークといえば…。 正解は、花王。 商品は、洗濯洗剤「ビーズ」。画像では判読できないので、広告下のコピーを引用しておきます。 独特の小粒状ですから 広告の右下隅には、旧い社名が記されている。「花王石鹸株式会社 長瀬商会」は、1925(大正14)年から終戦後1946(昭和21)年までの社名らしい。 詳細は、wikipedia「花王」の項を。 「メンソレータム」シンボルマークはまだリトルナースではないけど、こっちのデザインも可愛くていいなぁ。 広告下に書かれている効能は、縦書き。 うっかり右から横に読んでしまうところだった。 「毒外あた陽や化・・・」 毒虫 効能の最後の1つは、判読できず。 「ナリス水白粉」水おしろい、というらしい。 広告下のコピーは、 自然について もちのよい いったい、このBlogのコンセプトって何だろう・・・。 と、自分自身かなり怪しさを覚えてきましたが、 昭和の新聞広告については、また次回。 2007年 08月 12日
「昭和の新聞」に載せられた広告には、目が釘付けになった。
広告は「時代のまっただ中」をストレートに伝えてくる。 その時代のトレンドそのものだと思う。 ![]() 「ほふれ!」の一言が強烈。 広告主の星製薬を調べてみると、創業者はSF作家・星新一氏の実父。 戦後、星新一氏自身も社長を務めたらしい。 ![]() ムッソリーニペン。 どんなペンだろう? ハトカーみたいに、トップにムッソリーニが…。 ![]() ホルモンウィスキー 「美味」「芳香」。 あああ、気になるなぁ。 検索しても、ホルモンもしくはウィスキー、あるいはマキシマムザホルモンしか出てこない。。。 新聞広告の続きは、また次回。 2007年 08月 06日
実家の応接間には、「昭和の新聞」と題された古新聞がファイリングされ壁に掛けられている。
昭和の新聞は倉庫を整理しているときに出てきたもので、食器などの包装紙として使われていた。 活字の書体が古めかしかったので、 (やけに古い新聞だなぁ) と、できるだけ破らないように紙面を広げて日付を確認したところ、ほとんどが戦時中のものだった。 収録されているのは、当時の毎日新聞、朝日新聞、それから満州日報。現在から遡って、わずか60年ほど前の事実が記されている。 一面記事の内容が、今とは違いすぎる。 違いすぎて、まったく冗談のようにさえ思えてしまう。 誰かがこしらえたフィクションではないか?と錯覚してしまう。 だが、事実である。 新聞は、この日本が大まじめに戦争に明け暮れた時代が、ほんの少し前に、虚構でも何でもなく確実に存在していたことを物語っている。 「狂気である」 と直感した感覚を、わたしは忘れまい。 狂気の果てに、今のわれわれがあることを忘れまい。 No more war, No more HIROSHIMA, and No more NAGASAKI. 2006年 10月 09日
『花神』(かしん)は中国の言葉で「花咲じいさん」を意味している。幕末〜明治維新の時代、新政府(明治政府)による対・江戸幕府戦争が各地で勃発。ところが新政府の主力は薩摩・長州にすぎず、数の上ではとても幕府勢力に対抗できない。 そんな勝ち目のない革命戦争を勝利へと導いた人物が、物語の主人公である村田蔵六。日本に革命の花を咲かせた第一人物として描かれている。 村田蔵六は、新政府の軍備を近代兵器によって一新し、自ら新政府軍の総司令官となって指揮をとり、対幕府戦争の全てに勝利した。 村田蔵六の別称は、大村益次郎という。 歴史の教科書にも出てくるが、「日本の兵制の近代化に努めた」程度の情報しか載せられていない。試験に出る人物か?というと、どちらかと言えばマイナーな部類に入り、「必ず出る」とは言い難かったりする。 明治維新の立役者といえば、西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允。日本史の授業などで、これらの有名人が常に中心を占めているのは、新政府の成り立ちやら、政治・制度の内容がテンコ盛りになっているからだろう。 大村益次郎は軍事のヒトである。司馬遼太郎によると、明治維新での功労者を大きく分類すると、政略面では西郷隆盛、軍略面では大村益次郎である。彼が存在していなければ新政府は幕府には勝てなかった。つまり、明治維新は起こりえなかった。それほどの重要人物である。 『花神』のなかでの大村益次郎は「できるけどイヤなやつ」である。 彼の卓越した洞察力・分析力は常に正解を導き出す。しかし、形式を重んじるとか人情に訴えるとか、おおよそ日本人的なやり方が通用しない。 「お暑いですね」という何気ない挨拶に対してでさえ、「夏の暑いのは当たり前です」と反論する。「弾を補給してくれ」と願い出があっても、理由も付けずに「それだけあれば十分です」の一言で断る。西郷隆盛が「北越戦争に自ら出向く」と言い出せば、「到着する頃には、戦争は終わってます」とにべもないことを言う。 大村益次郎の判断は、常に彼が予測したとおりのプロセスと結果を生む。彼が「十分」と言うことは本当に十分だし、彼が「もう戦争は終わります」と言えば、戦争は終焉を迎える。 彼の思考の中枢を占めているのは数学的な状況計算だった。それから導き出される結果は、全て当然の帰結であった。ただし、常人の理解の範疇を超えていた。当時の人びとにとっては、何やら予言者めいた薄気味悪い存在にさえ見えたかもしれない。 それでいて、言いぐさが冷たい。「モノは言いよう」とはハナっから考えていないので、他人とのコミュニケーションがうまくいかない。軍事的才能は崇められるようになるが、その言動が誤解や反感を招きがちであった。それ故か、暗殺のターゲットとなり死期を早めてしまう。 『花神』に描かれる天才は、他を顧みない。自らに課せられた任務を果たすために、必要な目標を設定し、不必要なことを切り捨て、その全てをクリアしていく。これほど機械のような人間が、ちょんまげを結って刀を差していた時代に生きていたのか…と驚嘆するばかりである。 大村益次郎像 【近代日本人の肖像:国立国会図書館】 < 前のページ次のページ >
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