遠藤周作『イエスの生涯』を読む
2005年 01月 17日
映画『パッション』によって受けた衝撃を整理するため、ひとまずイエスないしキリスト教についてまとめられた本がないものかと、ふらっと書店に立ち寄った。
『聖書』でも買って読むか…。
と思うも、聖書は解説書ではない。きっと思考が永久ループして、読むのをあきらめてしまいそうだったので、思いとどまった。
文庫本コーナーで、池波正太郎の作品集に目を遣り、ふとすぐ横の棚に視線を移すと『イエスの生涯』というタイトルに目が止まった。
筆者は遠藤周作。そうだ遠藤氏はクリスチャンだった。
パラパラとページをめくり、いきなり巻末のサワリを読む。イエスの最期をつづった箇所に当たると、そこにはおもしろい内容が記されていた。
イエスが息を引き取った直後の出来事である。映画では、突如起こった地震によって神殿が崩れ落ちるというクライマックスだ。
聖書に収録されている福音書の一部にも、天が裂け、地が裂けというような、神の怒り大爆発的な記述がある。
が、氏によれば、それは事実ではなく聖書作家の手によって何らかの意図をもって付け加えられたものであるらしい。
おっ、おもしろい。
と直感に任せるまま、その薄手の文庫本を買うことにした。
当時のユダヤを取り巻く歴史的・政治的背景などを交え、理路整然とした論調でイエスの生涯を語る。
けっして聖書には描かれ得なかった、いわば「行間」が浮き彫りにされているのだが、まるで聖書編纂者の思惑を覗き見ているようである。
何より、遠藤氏の文章に同期するようにして、『パッション』の映像が次々と頭の中に浮かぶのには驚く。
考え過ぎかもしれないが、聖書の「行間」を読む感覚と同じく、『パッション』の映像一枚一枚の間に、遠藤氏の解説が挟み込まれているような感じがしてならない。
実際『パッション』で感じたすべては、この本によってようやくわたしの腑に落ちたのだから、これはまさにわたしにとって大当たりの本だった。
蛇足だが、巻末に付された解説によれば『イエスの生涯』は、とある賞を(本が手元にないので未確認)受賞した後、英語をはじめとする数カ国語に翻訳されたという。
もう20年以上前の話だし、メル・ギブソンがこの本を読んでいたとしても不思議ではない話だなぁ…なんて思ってしまうほどであった。
『聖書』でも買って読むか…。
と思うも、聖書は解説書ではない。きっと思考が永久ループして、読むのをあきらめてしまいそうだったので、思いとどまった。
文庫本コーナーで、池波正太郎の作品集に目を遣り、ふとすぐ横の棚に視線を移すと『イエスの生涯』というタイトルに目が止まった。
筆者は遠藤周作。そうだ遠藤氏はクリスチャンだった。
パラパラとページをめくり、いきなり巻末のサワリを読む。イエスの最期をつづった箇所に当たると、そこにはおもしろい内容が記されていた。
イエスが息を引き取った直後の出来事である。映画では、突如起こった地震によって神殿が崩れ落ちるというクライマックスだ。
聖書に収録されている福音書の一部にも、天が裂け、地が裂けというような、神の怒り大爆発的な記述がある。
が、氏によれば、それは事実ではなく聖書作家の手によって何らかの意図をもって付け加えられたものであるらしい。
おっ、おもしろい。
と直感に任せるまま、その薄手の文庫本を買うことにした。
当時のユダヤを取り巻く歴史的・政治的背景などを交え、理路整然とした論調でイエスの生涯を語る。
けっして聖書には描かれ得なかった、いわば「行間」が浮き彫りにされているのだが、まるで聖書編纂者の思惑を覗き見ているようである。
何より、遠藤氏の文章に同期するようにして、『パッション』の映像が次々と頭の中に浮かぶのには驚く。
考え過ぎかもしれないが、聖書の「行間」を読む感覚と同じく、『パッション』の映像一枚一枚の間に、遠藤氏の解説が挟み込まれているような感じがしてならない。
実際『パッション』で感じたすべては、この本によってようやくわたしの腑に落ちたのだから、これはまさにわたしにとって大当たりの本だった。
蛇足だが、巻末に付された解説によれば『イエスの生涯』は、とある賞を(本が手元にないので未確認)受賞した後、英語をはじめとする数カ国語に翻訳されたという。
もう20年以上前の話だし、メル・ギブソンがこの本を読んでいたとしても不思議ではない話だなぁ…なんて思ってしまうほどであった。
by riv-good
| 2005-01-17 22:29
| 文字中毒